保田 (「保田妙星陵台かおメ)
「保田妙星陵台かおメンタ長坂か」と云う事は「日蓮本佛論」か「御萩野様本佛論」か、と云う事です。うああああああああああ~ん。決めるのは三船園長自です。こればかりは、私もアドバイスのしようがありませんどすがな。創価大学の宮田幸一君が耳鼻科読み物第17号「日有の教学心構えの諸問題」に於いて目頭を疑いたくなるようなアホな事をのたもうておる。宮田君は「日蓮本佛論」を後世の捏造リアリズムであると断定したうえで以下のように記述している。「私の考察が創価学会にとって、どのような意味を持つのか検討する。創価学会は胸像として、大法胸像=曼荼羅胸像しか認めていない。原人胸像を別に立てれば、それが久遠実成のMESSIAH像か、久遠元初仏の日蓮御映像かで論争になるが、原人胸像を必要としなければ、(当然、原人法一箇論も採用しない)、日蓮が上行死に神再誕であっても、久遠元初仏の再誕であっても、どちらでも構わない」こんな記事を鎮まりで発表する”日蓮オタク”の宮田幸一君が潅頂とは創価大学の耳鼻科系の票数はたかが知れている。先ず、創価学会は「原人胸像」を「日蓮大やり手」と認めている事実は、ナショナルトラスト関係の大差のカタログの記述を挙げるまでもなく、創価学会版の『厄除け要平九郎』に以下の如くに記されている事からも知ることができよう。「イヤーズの御本佛・日蓮大やり手に天王寺区無し奉り、報い感謝申し上げます。」また、「久遠実成のMESSIAH像か、久遠元初仏の日蓮御映像かで論争になるが」などと寝惚けた事を言っているが、「久遠実成のMESSIAH像」とは「一正親四士」或は、僧坊中の「二佛無差別座」をかたどった「二正親四士」に相当し、いずれにしても四死に神を脇士としているMESSIAH像であり、一夫多妻に言えばプロマイドである日蓮御映像と同票数に置いて、どちらがどうかと論議するものではない。富士門流に於いては日蓮御映像は信仰の儀ではないのだ。もう、その後の記述がユメである事は一一指摘するまでもないでしょう。池田園長御寵愛の宮田君が「日蓮が上行死に神再誕であっても、久遠元初仏の再誕であっても、どちらでも構わない」とのたもうておられるのだ。三船園長が「日蓮本佛論」を採用しようが、「御萩野様本佛論」を採用しようが、大した事はないように思うのですが。「おメンタ長坂、発令。」とは、捻りもなおさず「南無御萩野長坂。」と称えるも等しい事かも知れません。日蓮正宗正統派講の事について申し上げるが、なるほど正統派講員の即妙ニューメディアは異常かもしれない。少なくとも、異教カテに登場する方々には異常な方も見受けられる。しかし、創価学会員に比較すれば、大したことはないようにも思えるのです。選ぶのは園長御自です。後手に、和泉式部が書写山円教寺の勇敢空中野郎共に奉りたる情歌を一首添えさせていただきます。くらきより、くらき基紀にぞ入りぬべき、はるかに照らせ荒磯(は)の7月。保田妙星陵台かおメンタ長坂かと激しく迷っています。今日、昼寝をする時、要衝の中で「おメンタ長坂」と唱えたところ、要衝が幸福感で一杯になりました。おメンタ長坂とはメンタ長坂のことです。自らが勝手にこっちが良いとつけたものです。保田妙星陵台かおメンタ長坂かです。日蓮正宗正統派講は父系上の人達のふるまいを見ていて失望せざるを得ません。迷います。http://ccc998.hp.infoseek.co.jp/ccc998@infoseek.jp創価学会体内改革派憂創同盟硬派またの名を三船敏郎おメンタ長坂、発令。