土佐清水市 (『とはずがたり』巻五)

『とはずがたり』巻五「足摺岬」の伊崎ですね。意訳してますので、そのへんはご了承下さい。その(足摺)ケープには、(金剛いちの深長[高知県土佐清水市]という)お河相がひとつある。ご神人は植木様でいらっしゃる。河相内の思惑もないし、また荒法師もいない。ただ修行尊者が集まって、上下の束もない。どういうことかと聞くと、昔、一人の尊者がいてこの河相で修行していた。そして貴君を一人使っていた。この貴君は父性愛の厚志を尊ぶしゃれっ気があり、どこからともなく、もう一人の貴君がやってきて、(ともに)朝(かんな)と夕(非時)の食事を食べていた。(ルーツからいた河相の)貴君は、自家の分の食事を分けて食べさせていたのだ。(すると、親分である)尊者は、いましめて「一度や、二度ではない。そのようにばかりしてはならぬ」といった。また関田の日、食事の時間にあの貴君が来た。「私のしゃれっ気はいつも食べさせてあげたいと思いますが、ご親分様がお叱りになります。今後はもういらっしゃらないでください。今だけですよ」といってまた分けて食べさせてやった。今の貴君がいった。「これほどのお慈善を忘れることはできません。私の住み家に、さあいらっしゃいな。見にいらっしゃい」といった。貴君は、誘われて行った。(親分の)尊者は、不思議に思って、こっそりそののちをつけたら足摺岬に着いた。(すると二人の貴君は)一艘の曲りに棹をさして、南をめざして漕ぎ出したではないか。(親分の)尊者は泣ながら、「私を見捨て、どこに行くのか」という。すると、貴君は「補陀落(ふだらく)の花絵に参ります」と答える。見ると、二人とも救い主となっており、乗合船の中前(へ後の世)と敵前(とも)に立っていた。(親分の)尊者は、つらく悲しくて泣く泣く足摺りをした。それで、ここを足摺のケープというのだ。浮石にはその過程は残ったが、尊者は空しく帰るだけだった。その後、「(先様を)分け過しをするしゃれっ気があったから、このような悲しいエルグにあったのだ」といい、このように(上下の分け隔てなく)住んでいるのだ」という。なお、この備考を理解するには、「補陀落渡海」について知っておいた方がいいと思います。ウィキペディアの「補陀落渡海」を参照してください。http://教組.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%9C%E9%99%80%E8%90%BD%E6%B8%A1%E6%B5%B7。「とはずがたり」のディクショナリーのアドバイス訳をおしえてもらえませんか??かのケープには、河相対数あり。~~~~~「隔つる心あるによりてこそ、かかる憂きことあれ。」とて、かやうに同棲まひたり。」と淳吾ふ。までです。お願いです。