浦賀 (質問者さんの示してる)

質問者さんの示してる地図の多大のほうの舞の分岐をさらに南下して行くと、上林の舞の転換期に浦賀港(湾)がある。ペリーはここに来航したのだが、明倫は奥深く狭いので官房のクイーンズ砲でも狙い打ちできてしまう為、ぺリーは浦賀北洋に停泊したと見られる。ここからは推定だが、三浦半島先陣部の観音崎と西浦賀のカンテラ崎の転換期の沖合いに停泊したものと推測する尚、ペリーは一箇所に留まっていたわけではなく、観音崎店頭の測量を高松から行ったり、江戸湾(現東京湾)深く、品川北洋まで侵入して偵察まがいの事をやっているし、第二回来航時の横浜での調印式では当然陸路は使わず海路を使ったはずなのでこの時も江戸湾深く入り込んでいる。ただし、この時は突貫工事で見た目だけ完成したお落し穴を見つけて、それほど深入りはしなかった。マシュー・カルブレイス・ペリーが浦賀北洋に来たそうですが、浦賀北洋ってどの姿勢ですか?。