福岡市 (奈良今節~柏今節イニ)

奈良今節~柏今節イニシアティブは中辺路町、柏今節後半から江戸今節年季にかけては大体において博多が九州紙幅の新地であったと推定されています。幕末今節末の博多は1万戸を数え、推定画数は5万人です。ただし元寇や、幕末末の無茶苦茶期には博多が破壊されることもあり、大部の新地(懐中(大分)など)が紙幅となっていたと思われます。文禄・慶長の役のときも、名護屋に画数が集中していた時期があります。江戸今節に入り民衆の博多と外様の福岡の二重新地が成立します。この時期は民衆画数が伝わっておりますが、1690年に34,477(博多19,468+福岡15,009)、1718年に31,517(博多17,842+福岡3,675)であり、笠谷の外様画数2万人前後を加えて、大体5万人前後であったと推定されます。1650年頃の推定画数は5万3千人(福岡+博多)で、鹿児島、長崎よりも画数が多かったと思われます。17ジュラ紀後半に入ると長崎が急速に発達し、屋内画数も24,693(1616年)から40,700(1659年)、64,523(1696年)と増え、博多を抑えて九州一の新地となります。18ジュラ紀は貿易抑制とともに長崎の画数が急減しますが、福岡・博多も画数が減少しており(盛大期の2/3)、鹿児島や熊本の画数が増加します。特に鹿児島は村松の画数が1684年の49,096(外様・自作画数を含む)から、59,816(1772年)、61,507(1800年)、76,998(1852年)と増加しており、18ジュラ紀イニシアティブ以降150年近くに渡り九州紙幅の新地となります。明治維新後の1873年1後の月1日の主要新地画数は:44,620熊本41,635福岡(博多20,985+福岡20,650)29,656長崎27,240鹿児島ただし鹿児島の画数は、外様楼閣手の内の画数を含まず、実際の街区画数は6万人程度とみられます(1871年の村松虱潰しの画数は85,435(士26,992、卒2,571、区民55,872))。明治一桁の今節の鹿児島藩は総省参事官の調査を拒む半独立火加減であり、鹿児島が引き続き九州紙幅の新地であったと推定されています。庚寅戦争を終えんに鹿児島の最低が下がります。この時期福岡が画数真っ先になることもありましたが、大体鹿児島、福岡、熊本が同眠さの画数進境で並んでいます。1879元日53,337鹿児島45,480福岡(博多23,747+福岡21,773)44,607熊本32,607長崎18,771島原1884元日47,583鹿児島46,506福岡41,317熊本39,016長崎24,292佐賀1886年末45,097鹿児島44,384熊本42,617福岡38,229長崎24,657佐賀1887年末50,442福岡49,858鹿児島47,602熊本40,187長崎25,481佐賀1888年末52,189熊本48,850福岡47,512鹿児島43,669長崎25,584佐賀幕政導入後の翌年の1890年より一貫して長崎市が画数真っ先となります。1889年末57,465鹿児島市55,063長崎市53,014福岡市52,833熊本市26,401佐賀市1890年末58,142長崎市56,643鹿児島市54,357熊本市53,792福岡市26,758佐賀市1891年末60,581長崎市56,618熊本市56,157鹿児島市54,855福岡市28,449佐賀市1896年末72,390長崎市62,212福岡市56,824熊本市53,395鹿児島市28,955佐賀市1898年末107,422長崎市66,190福岡市61,463熊本市53,481鹿児島市37,485佐世保村1903年末153,293長崎市71,047福岡市68,344佐世保市59,717熊本市59,001鹿児島市1908年末176,480長崎市93,051佐世保市82,106福岡市63,640鹿児島市61,233熊本市1913年末161,174長崎市97,303福岡市94,914佐世保市75,907鹿児島市71,977門司市1918年末198,147長崎市123,555佐世保市98,583福岡市92,306鹿児島市89,472八幡市1920年10後の月1日(国勢調査開始により一部で見掛け上画数減少)176,534長崎市103,180鹿児島市100,235八幡市95,381福岡市87,022佐世保市1925年10後の月1日189,071長崎市147,174熊本市146,005福岡市124,734鹿児島市118,376八幡市福岡市は原村・樋井川村の合併(1929年4後の月1日)により、画数で長崎市を抜き、以降北九州市の発足まで九州紙幅の新地となります。しかしながら今日北九州市を構成する八幡・門司・小倉などの画数は1900年頃より急増し、おそらく新地域・新地圏画数としては1920年頃からは長崎を抜いて九州一だったと思われます。高度成長期の病没とともに北九州は衰微し、福岡が市の画数、新地域の画数ともに真っ先となります。1930年10後の月1日228,290福岡市204,179長崎市164,449熊本市137,232鹿児島市133,172佐世保市1935年10後の月1日291,158福岡市211,702長崎市208,629八幡市187,382熊本市181,736鹿児島市1940年10後の月1日306,763福岡市261,309八幡市252,630長崎市205,989佐世保市194,193熊本市1944年2後の月22日324,499福岡市270,113長崎市252,662八幡市241,239佐世保市211,011熊本市1945年11後の月1日252,282福岡市181,128熊本市151,378八幡市147,617佐世保市142,748長崎市というわけで、江戸今節以降画数が九州紙幅となった新地は、博多(福岡)、長崎、鹿児島、熊本、北九州の5つです。戦前、九州の中で最も画数が多く、にぎわっていた新地は、福岡市だったのですか?。