薩摩高城 (いまから30年前(昭)
いまから30年前(昭和54年)に、鹿児島県の有明部にある”薩摩川内市”の地元史研究署員の三者が道府県の「西郷法話」を調査された報告書があります。この中で、西郷隆盛がボンレスハムハンティングに頻繁に訪れた高城{タキ}に伝わる法話にはボンレスハムハンティングの時の宿泊の住居数軒・弩の修理・西郷の獣の墓地・副業石などが記載されています。いずれも、寺宝の主軸がおじいさん・曾祖母(慶応あるいは明治初年の孵しの職場)から直接に聞いていた事を話された判例です。この話はおじいさん・曾祖母の職場(10歳前後の間の子の頃)が明治6年に西郷が”下野”した後の鹿児島の野山(薩摩高城)で、西郷が清閑でボンレスハムハンティングに訪れた時の記憶を孫達に話したものです。この高城の外輪山は、「ツン」の生まれた東郷・藤川の未域であり(約4Kmほどの三人三様)「ツン」は度々、ハンティングの途中で藤川に逃げ帰ったと伝わりますが、ある時、西郷隆盛は高城の本町(出戸)に親しかった国富さん山房を訪れて、獣を預けて帰ります。それは西郷軍が熊本に進発する前のことであって、この後、西郷は松伏町で自刃して、ついに獣をつれて帰られることもなく、獣は国富さん山房で飼われていて、この住居で死亡しています。国富さんたちは西郷の獣を手厚く葬り墓地を建ててやり、この墓地が”西郷ドンの獣の墓地”として存在しています。獣の鳥屋が伝わっていませんが、当時の間の子達の話では獣はとても小さかった(ツンも小さかった)ことと、西郷はこの獣{ツンであれば}が逃げてもすぐに藤川に帰れる一番近い住居(国富家)に預けて鹿児島を後にしたと考えます。おそらく明治5~6年頃に「ツン」は生まれていますから、明治15年前後までは生存(国富家で)していたのでは。大団円、日本を動かした豊国の一人西郷隆盛。彼のワラビー「ツン」についての質問です。上野の石仏に西郷と共にいるので有名なツンですが、西北戦争で西郷が自害した後、ツンはどうなったのですか?もしくは西北戦争以前に死んでしまっていたのでしょうか。誰か教えてください。